2015/10/20
ペットの「チッキー」が死んだ。悲しすぎる。しかし、子供達は、死生観を学んだ。
今年、新しいペットとして飼い始めたペットのにわとり「チッキー」が不慮の事故で死んでしまいました。
ヒヨコから家族みんなで大切に育て、呼んだら走って来るぐらい懐いており、しばらく家族一同悲しみに包まれていました。
このブログでも何度か登場していたため、少し悲しみが落ち着いたので、ご報告します。
不慮の事故とは
突然の死でした。
家族旅行に行くために、「チッキー」をいつものように、にわとりを飼っている知り合いに預かってもらっていました。
すると「チッキー」が死んだと携帯に連絡が。。。旅行前、とっても元気だったので信じられませんでした。
話によると「他のにわとりに殺されてしまった」と。
もっと調べてから預けるべきだった。。。
(Q)ウコッケイの雄同士の喧嘩は殺しあうほど戦いますか?それとも優劣がつけばもう喧嘩はしないのでしょうか?この喧嘩はおさまるのでしょうか?それとも喧嘩する者同士は別々にした方がいいでしょうか?
(A)相性次第です。共存できることもあるし、優劣がつけばケンカが終わることもあるし、相手が死ぬまでイジメが続くこともあります。経過をみるしかありません。その上でイジメによるケガがひどいようなら片方(イジメる方)を隔離。雄鶏には縄張り争いをする本能がありますから後から仲間に入った方がイジメられやすいんです。その習性を利用し、イジメる方を一旦隔離して後で群れに入れると状況が変わることがあります。
オス同士の喧嘩、優劣争いはよくあるみたいです。
しかし、メスはあまりないようです。「死んでしまう、一時間ぐらい前まで元気だった」ということだったので、つつかれた際の場所が悪かったのかも知れません。
ごめんね、チッキー。(涙)
にわとりを元々ある群れに入れる際は、十分気を付けてください。
子供たちはペットの死を理解できるのか?
うちの子供たちは、8歳と6歳です。
子供たちに「チッキーの死」を報告する時に
「チッキー」が死んじゃった。
と言って理解できるのか、正直疑問でした。
子供たちが生き物の「死」というものを理解しているのか分からなかったからです。
子供たちには
チッキーが死んでしまって、天国に行った。
と伝えました。
すると、二人とも泣いていました。。。
子供に「死」というものを教える機会は多くないと思います。
今回の「チッキー」の死で、子供たちの死生観の教育について、初めて真剣に考えました。
死生観の理解の在り方と関わり方
ベネッセの教育情報サイトに死生観の理解の在り方と関わり方の記事がありましたので、お伝えします。
◆5歳未満:「ずっと寝ているね」
死んだら動かなくなることはわかりますが、生き返ることがないことは理解していません。長い間寝ているだけで、いつか目が覚める……と信じている場合も多いようです。
この時期の子どもは、虫を踏んで死なせるなど、一見残酷な行為をすることがあります。しかし、これは動いていたものが動かなくなっていくことを不思議に思っているだけ。好奇心の表れであることがほとんどなので、あまり神経質にならないほうがよいでしょう。◆5~9歳:「死ぬとお星さまになるんだよ」
死んだら生き返らないことは理解するようになるものの、誰もがいずれ死ぬという実感は薄いようです。また、「死ぬと別のおうちで暮らすことになる」といった表現をする子どももいます。
この時期までは、「死」について尋ねられることがあったとしても「死ぬとお星さまになって、空からみんなを見守っているんだよ」など、安心につながる「物語」を用意してあげましょう。「子どもだまし」と感じられるかもしれませんが、これは「サンタなんていないよ」とわざわざ告げる必要がないのと同じ。やがてそうじゃなかったとわかることでも、この時期の子どもには必要なお話なのです。
◆10歳~:「死んだらどうなるの?」
自分を含めて、死は避けられないと理解します。学校の授業や友達との会話、親戚やペットの死などの経験から、いのちや死を強く意識する「いのちの体験」をし、私たちと同じ死生観の基本が成立します。
死への恐怖を感じるようになる時期ですが、「パパもママもまだまだ死なないから、あなたも大丈夫!」といった、保護者からの力強いメッセージが救いにつながります。◆思春期以降:「いのちと死に、答えはないんだ」
死んだら動かない(不動性)、戻らない(不可逆性)、避けられない(不可避性)を経て、いのちと死について真剣に自問自答し、「どうせ死ぬのに、なぜ生きているのだろう」など、本当に悩む時期が訪れます。
保護者自身、「この問題には私もまだ答えが出ていない。だから、時々考えるようにしている」と、同じモヤモヤを抱えていることを共有してよいと思います。私はこの状態を「棚上げ」と呼んでいます。ふだんは使わないけれど、捨てることもできないやっかいな荷物を「見える場所に棚上げして時々見つめ直す」という意味です。「死んだらどうなるの?」や「人はなぜ死ぬの?」といった根源的な問いには、明確な答えはありません。しかし「わからない」と正直に答えて「棚上げ」をすすめるのは、大人と同じ思考がほぼできるようになる思春期以降にしたほうがよいでしょう。それまでは、「お星さまになった」などの「物語」を聞かせて、死への不安を取り除き、生きる希望へと導いてあげましょう。
子供の年齢に応じて、死生観についてもしっかり教育していく必要がありますね。
りゅうじんのつぶやき
「どうせ死ぬのに、なぜ生きているのだろう」など、子供達にはいずれ本当に悩む時期が訪れる。
上で紹介したベネッセのサイトにあるよう死生観についてもきちんと教育し、死への恐怖、不安を取り除いてあげる必要がありますね。
短い時間だったけど、チッキーは家族に楽しい時間をくれて、いろいろなことを学ばせてくれてました。
ありがとう、チッキー。安らかに天国でお眠りください。
いつもありがとうございます。
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